約 818,101 件
https://w.atwiki.jp/epicofbattleroyale/pages/47.html
漢中のライダー ・鮮やかな緑の筩袖鎧に身を包んだ双剣使いの将 ・人懐っこい柔和な顔立ちと長い耳、肩にかかる程度の黒い長髪 クラス ―――― ライダー プロフィール ――――――― 「宝具は使わないし真名は教えない。お前になにができる」って? そうだねえ、人を見る目と逃げ足の速さには自信があるよ。 ああ、あとは人の運だね。現にほら、君と会えただろう? 夢の果てを見た人たらし 漢中のライダー SSR ☆☆☆☆☆ 最大ATK 12454 最大HP 13236 五虎将のセイバー ・短く刈り込んだ金髪と無精ひげの精悍な白人男性 ・青い軽鎧を身に纏い、愛用のクレイモアを高く掲げる ・爽やかな笑顔と立ち振る舞い。勇気と不屈を信条とする熱血漢。 クラス ―――― セイバー プロフィール ――――――― 諦めない事、一歩踏み出す事。 何事においてもそれは大事なことさ。 君がその二つを忘れない限り、俺は君と共にあろう。 疾駆する希望の剣 五虎将のセイバー SR ☆☆☆☆ 最大ATK 11655 最大HP 10776 五虎将のキャスター ・鹿皮のシャツを着込み、頭には鷲の羽根飾り。ところどころにバッファローの角をあしらったアクセサリ ・巌の様で寡黙な壮年の男性。 ・呪術師であり戦士。呪いと弓を巧みに扱う。 クラス ―――― キャスター プロフィール ――――――― 私が許せない者は略奪者だ。 私利私欲で人を傷つけ大切な者奪う輩がいるのであれば、 私はいつでも戦士に戻ろう。 神秘より知啓を得し者 五虎将のキャスター SR ☆☆☆☆ 最大ATK 9613 最大HP 12953 五虎将のアーチャー ・緑のフードに口元を覆うマスク、パンツスタイル。片手にはロングボウ ・隠された素顔はボーイッシュショートヘアの快活な少女。 クラス ―――― アーチャー プロフィール ――――――― 僕は無数にいる中の一人。 僕ら一人一人は全然違う。 そんな僕らの共通点は一つ。 威張り散らすばかりの権力者は気に入らないってところさ! 可憐なる森の狩人 五虎将のアーチャー R ☆☆☆ 最大ATK 5819 最大HP 11053
https://w.atwiki.jp/tanorcampaign/pages/165.html
「親父、咆哮」 プレイ日:2008.05.25 マスター:YD あらすじ PC1:橋口 安綱 PC2:煌 天鳴 PC3:朝比奈 緋色 PC4:イザヤ 草壁 NPC 敵側
https://w.atwiki.jp/cfvg/pages/1530.html
グランブルー - ゾンビ グレード〈3〉 ノーマルユニット (ツインドライブ!!) パワー 11000 / シールド - / クリティカル 1 起【ドロップゾーン】:[CB2]あなたのカード名に「伊達男」を含むグレード2以上のヴァンガードがいるなら、このカードをライドする。 自【V】:あなたの《グランブルー》がドロップゾーンからRに登場した時、そのターン中、このユニットのパワー+3000。 永【V/R】:あなたのドロップゾーンに、カード名に「伊達男」を含むユニットがないなら、このユニットのパワー-2000。 フレーバー:飄々とした男は死んだ。船を、仲間を守るため真の漢が立ち上がる。 燃える伊達男 ロマリオ グランブルー - ゾンビ グレード〈2〉 ノーマルユニット (インターセプト) パワー 9000 / シールド 5000 / クリティカル 1 自【V】:[CB1]このユニットのアタックがヒットした時、このユニットが「伊達男ロマリオ」にブーストされているなら、コストを払ってよい。払ったら、あなたのドロップゾーンからグレード1以下のカードを1枚まで選び、Rにコールする。 フレーバー:火もまた涼し、それが伊達男だ。 順位 選択肢 得票数 得票率 投票 1 使ってみたいと思う 0 (0%) 2 弱いと思う 0 (0%) 3 強いと思う 0 (0%) 4 面白いと思う 0 (0%) その他 投票総数 0 コメント
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/19.html
編集 「郎内諸官を主る。故に曰く郎中令。」(臣瓚) 「光は、明なり。禄は、爵なり。勳は、功なり。」(応劭) 「禄臣、光を司る、敢えて執経に告ぐ。」(揚雄官箴) 「勳なお、閽也、易に曰く『為閽寺』。宦寺、殿宮門戶の職を主る。」(胡広) 光禄勲(光禄勳)は、朝廷の職官である。九卿の一つに数えられ、現代の大臣に相当する。宮殿・門戸に宿直して天子を親衛し禁中の出入りを防ぎ天子の外出に随行する郎官を司った。また、天子の顧問応対や議論、使者を担う謁者、大夫、議郎らも下に置いた。 目次 目次 歴史 地位 職掌 属吏丞 員吏 郎(前漢)議郎 中郎 侍郎 郎中 期門郎 虎賁郎 羽林騎 郎(後漢)五官中郎将 左中郎将 右中郎将 虎賁中郎将 羽林中郎将 流馬菀 四中郎将 謁者(前漢)謁者僕射謁者 謁者(後漢 文属)謁者僕射常侍謁者 謁者 給事謁者 灌謁者郎中 属官(後漢に文属)大夫中大夫 光禄大夫 太中大夫 諫大夫(前漢) 諫議大夫(後漢) 中散大夫(後漢) 議郎(後漢) 奉車都尉 駙馬都尉 騎都尉(後漢) 所属項目(タグ) 関連項目・人物 歴史 郎中令は故の秦官。漢もこれを継ぐ。 武帝太初元年、更名して光禄勳と為す。 名称に諸説あるが、宮中に出入りする者の禄勲を明(光)らかにして資格無き者の出入りを防ぐ故ともいう。 地位 (前漢) 卿、一人。秩中二千石。 (後漢) 九卿、一人。秩中二千石。 職掌 (前漢) 宮殿・掖門戸を掌る。 (後漢) 宮殿・門戸に宿衛することを掌り、典謁(賔客の告請の事を主る)する。 署郎は更直(輪番当直)して戟を執り、門戸を宿衛して、その徳行を考え、而してこれを進退す。 郊祀の事には、三獻を掌る。 大夫、郎、謁者が有り、みな秦官である。 属吏 丞 (前漢) 有り。秩千石。 (後漢) 一人。秩比千石 員吏 四十四人。 その十人が四科、三人が百石、一人が斗食、二人が佐、六人が騎吏、八人が学事、十三人が守学事、一人が官医。衛士八十一人。 郎(前漢) 郎は、門戸を守り、車騎の出充を掌る。議郎、中郎、侍郎、郎中が有り、皆無員、多きは千人に至る。 中郎に五官、左、右の三将有り、秩皆比二千石。 郎中に車将、戶、騎の三将有り、 秩皆比千石。左右車将は、左右車郎を主る、左右戸将は、左右戸郎を主る也。秩皆比千石。 また、武帝期に期門郎(のちの虎賁郎)と羽林騎を増設する。 議郎 無員、秩比六百石。 中郎 無員、比六百石。 省中の郎の意。以下の三将を持つ。 五官中郎将 秩比二千石。 左中郎将 秩比二千石。 右中郎将 秩比二千石。 侍郎 秩比四百石。 郎中 秩比三百石。 以下の将を持つ。 郎中車将 秩比千石。 郎中戸将 秩比千石。 門戸を直主する。 郎中騎将 秩比千石。 期門郎 無員、多きは千人に至る。その秩は郎に比す(比三百石か)。 兵を執り送従を掌る。 「ともに門下に期して以て微行す、のち遂に以て官を名づける。」 武帝建元三年、初めて置く、平帝元始元年、更名して虎賁郎とする。 後漢には置かず。 期門僕射 秩比千石。 期門郎を監す。 虎賁郎 無員、その官位は郎に比す。 平帝元始元年、期門より更名する。 一説に、前漢に於いては「虎奔」と作った。王莽が古の勇士孟賁が有るを以って、故にこれを名とした。顔師古曰く、「賁、讀は奔と同じく、猛獸の奔の如くと言う」。公安国曰く、「若虎賁獸、その甚猛を言う。」 虎賁中郎将 一人、比秩二千石。 虎賁を主る。 羽林騎 天子の送従を掌って、期門に次ぐ 「其れ羽の疾きの如く、林の多の如くと言う也。一說、羽の所以は王者の羽翼と為す也。」 武帝太初元年、初めて建章營騎を置く、更名して羽林騎。 從軍死者の子・孫を取り、羽林官にて養い、五兵を以て教えて、號して曰く羽林孤兒。 羽林令 羽林騎の長。。 中興以後省く。 羽林丞 中興以後省く。 騎都尉 秩比二千石。 宣帝が令して羽林を監す。一時の権か。 郎(後漢) 後漢においても、郎官は光禄勲に職属する。ただし、議郎は文書の上で所属するのみで、天子に直属する傾向を強めたようである。 およそ郎官は皆更直・執戟を主る。諸殿門に宿衛し、車騎を出充す。ただ議郎は直中に在らず。 五官郎、左署郎、右署郎を以って曰く、三署郎。 五官中郎将 一人、比二千石。 五官郎を主る。 五官中郎 無員、秩比六百石。 中郎とは、省中の郎である。 郎の年五十を以て五官に属す、故に曰く六百石。 五官侍郎 無員、秩比四百石。 五官郎中 無員、秩比三百石。 左中郎将 一人、秩比二千石。 左署郎を主る。 中郎 無員、比六百石。 侍郎 無員、比四百石。 郎中 無員、比三百石。 右中郎将 一人、比二千石。 右署郎を主る。 中郎 無員、比六百石。 侍郎 無員、比四百石。 郎中 無員、比三百石。 虎賁中郎将 一人、比秩二千石。 虎賁を主り宿衛す。 左僕射 一人、比六百石。 虎賁郎の習射を主る。 右僕射 一人、比六百石。 虎賁郎の習射を主る。 左陛長 一人、比六百石。 虎賁を直に主り、朝會にて殿中に在る。 右陛長 虎賁を直に主り、朝會にて殿中に在る。 一人、比六百石。 虎賁中郎 無員、比六百石。 虎賁侍郎 無員、比四百石。 虎賁郎中 無員、比三百石。 節從虎賁 比二百石。 以上四郎、みな父死して子が代わる。宿衛・侍従を掌り。節從虎賁より久しき者転遷して、才能差高きは中郎に至る。 羽林中郎将 一人、秩比二千石。 「其れ羽の疾きの如く、林の多の如くと言う也。一説、羽の所以は王者の羽翼と為す也。」 武帝太初元年、初めて建章營騎を置く、更名して羽林騎。 羽林郎を主る。 府、虎賁府に次ぐ。 羽林左監 一人、六百石。 羽林左騎を主る。 孝廉郎のうちの有材者が為り、羽林九百人を主る。また、左右二監の官屬・史吏はみな羽林中から出す。 丞一人。 羽林右監 一人 六百石。 羽林右騎を主る。 丞一人。 羽林郎 (後漢) 無員(百二十八人とも)、秩比三百石。 宿衛侍從を掌る。 漢陽郡、隴西郡、安定郡、北地郡、上郡、西河郡凡そ六郡良家より常に選び補す。もとは便馬を以て武帝の猟に従い、還りて殿の陛巖下室中に宿す、故に號して巖郎。また、その厳厲整鋭を言うなり。 羽林郎は、出でては三百石丞、尉に補す。 流馬菀 漢陽郡に有り。前代の牧師菀の残か。 羽林郎を以て監領す。 四中郎将 漢末に有り、皆師を帥して征伐した、何時の置か知らず。 謁者(前漢) 「謁は、請なり、白なり。」(應劭) 賓讚・受事を掌る。 謁者僕射 秩比千石。 謁者 賓讚・受事を掌る。 員七十人、秩比六百石、 謁者(後漢 文属) 後漢に至ると、謁者は光禄勲には文書上のみ属す。 賓贊、受事、及び上章、報問を掌る。将、大夫以下の喪に、使して弔を掌る。 謁者は皆、孝廉の年五十を用い、威容厳恪、賓に能う者これに為す。 府の丞、長史、陵令として出る、皆、儀容端正を選び、使者に任奉する。 明帝詔曰:『謁者乃ち堯の尊官、舜を試して四門に賓し、四門穆穆とす所以なり。』昔、燕太子、荊軻を使して始皇を劫かし、變、兩楹の閒に起きる、その後謁者匕首を持ち腋を刺す、高祖、武を偃(やす)めて文を行い、故に板を以てこれを易し。」 謁者僕射 一人、比千石。 謁者臺を率す、謁者を主り、天子出づれば奉引す。 常侍謁者 五人、比六百石。 殿上、時節威儀を主る。 謁者 合わせて三十人。 以下の二者がある。初め灌謁者と為り、歳満ちて給事謁者となる。 また、二人は六百石を持って使して公府掾となる。 給事謁者 四百石。 灌謁者郎中 比三百石。 属官(後漢に文属) 後漢に至ると、光禄勲には文書上のみ属すようになる官。 大夫 (前漢) 論議を掌る。 無員、多くは数十人に至る。 (後漢) およそ大夫は、みな顧問応対を掌る。 常事無く、ただ詔命の使う所となる。 中大夫 武帝太初元年、更名して光禄大夫と為す。 後漢には置かれず。 光禄大夫 (前漢) 比二千石、無員。 武帝太初元年、中大夫から更名する。 (後漢) 比二千石、無員(或いは三人) およそ諸国の嗣の喪、則ち光禄大夫が弔を掌る。 太中大夫 (前漢) 無員、秩比千石。 (後漢) 無員、秩千石(或いは二十人、秩比二千石)。 諫大夫(前漢) 無員、秩比八百石。 武帝元狩五年、初めて置く。中興後、諫議大夫と為る。 諫議大夫(後漢) 無員(或いは三十人)、秩六百石。 中興後、諫大夫から改称す。 中散大夫(後漢) 無員、六百石(或いは三十人、秩比二千石)。 中興後に置かれる。 議郎(後漢) 無員(或いは五十人)、六百石。 無員、顧問応対を掌る。 奉車都尉 無員(或いは三人)、比二千石。 御乗輿車を掌る。 駙馬都尉 無員(或いは五人)、比二千石。 駙馬を掌る。 騎都尉(後漢) 無員(或いは十人)、比二千石。 もとは羽林騎を冠す(後漢では管轄せず)。 所属項目(タグ) 九卿 光禄勲 卿 職官 郎 郎中令 郎官 関連項目・人物 騎都尉 駙馬都尉 諫議大夫 羽林騎 奉車都尉 四科 光禄勲 編集 -
https://w.atwiki.jp/haruhioyaji/pages/36.html
次の日の放課後、俺とハルヒは、約束の通り、あの不動産屋を訪れた。 「そうか、君たちの部屋を探してたのかい。それでいいのは見つかったかい?」 「それが、どれもいまいちピンと来ないのよねえ」 かいつまんで話した「事の顛末」をニコニコ顔で聞いてくれる店主と、そんなのはそっちのけで物件リストの中にサイコ・ダイビングしてしまうハルヒ。 「すいません。目標を追い出すと周りが見えなくなる肉食獣な奴で」 「いいよいいよ、気にしないで。住むことは生きることなり、だ。真剣に探すのは当然だよ」 「住むことは生きることなり、ですか」 「実感が湧かないかな。若いうちは元気で外を飛び回っていて、家なんか帰って寝るだけ、ということも多いからね」 ハルヒが部屋探しに打込む様子を目の前にしても、どこか違和感を感じるのは、「外を飛び回ってる」ハルヒのイメージがどうしたって強烈すぎて、「帰って寝るだけ」のものに注がれるこいつの情熱とそのイメージが、俺の中でうまく結びつかず惑っているからだ。 「そうですね」 「そんなことないわ」 忙しくファイルを繰っているはずのハルヒから声が飛んで来た。 「人間なんて一生のうちの三分の一は寝てんのよ。赤ちゃんや9歳以下の子供をのぞいても、1日のうち11時間は寝るとか食べるとかに費やして、仕事に7時間、それ以外に自由に使えるなんて6時間くらいのものよ。それに働くといえば家の外へお勤めに出るみたいなイメージだけど、サラリーマンが働く人全体の半分を超えたのは1960年ぐらいからよ。それ以前はもちろん、それ以降もずっと家で仕事をしてる人は大勢いたわ。しかもサラリーマンっていうくらいで、ほとんどの家で勤めに出るのは男だけで、女はずっと家にいたの。共稼ぎの世帯がサラリーマンと専業主婦の世帯数を越えたのは1992年だったかしら。とにかくね、家が『帰って寝るだけ』のところなんて暴言もはなはだしいわよ、キョン!」 思わぬ集中砲火をあびて、たじろぐ俺。言葉の銃弾を連射しながらも、ファイルを繰る手を止めないハルヒ。そういえば、ハルヒが小さい頃、こいつの母さんは入退院を繰り返していて、仕事で飛び回ってる親父さんとたまにお見舞いに行く以外はこいつはずっと家にいて、小さな頃から家事全般を任されていたのだと聞いたことがあった。こいつはそんな話をした後、いつものアヒル口になって「だって他にする人がいないんだからしょうがないじゃない」みたいなことを言っていた気がする。 店主はハルヒのマシンガン・トークを、これまたニコニコと聞いていたが、それが鳴り止み、ハルヒが物件情報の海に再びダイブするのを見届けてから、ゆっくりした口調でこう始めた。 「おじさんはこの仕事を継いだのが遅くてね。頑固な父親で、そりが合わなかったから、最初は別の仕事について、しばらく勤め人をしてた。父親も、自分が死んだらここも閉めてしまおうと思ってたらしい。それが酒がたたって、父親の予定からすると随分と早くに脳卒中で倒れた。呼び付けられて実家に帰ると、手招きで呼び寄せられて父親にこう怒鳴られたよ。 『道路、河川は本なり。水道、家屋は末なり。って言葉、知ってるか?』 知らないと答えたら、『おまえ、それでも不動産屋の倅か』とこうだ。 『維新からこの方、国の偉い連中はみんなそれでやってきた。都を地震で壊され空襲で焼かれても相も変わらずだ。だがな、辺り一面の原っぱを馬が駆け抜けてくだけで道なんかひとつも見えない大平原でも、ラクダしか進めねえ砂の海でも、目をこらすと人がいるところじゃ必ず煙があがってる。その下には世界のどこいったって家がある。中にはバラしてロバに積めるような家がある、洪水に流されるままの筏の上に建てた家がある、地面を掘り下げただけの家がある。『家屋は末なり』だ? ああ、結構だ。どんな大通りの真ん中を歩いてる連中だって、家からやってきて家へ帰っていくじゃねえか。人の歩きだした端、歩いていった先は、確かに末端だ、行く末だ。俺たちの世代には、自分の家に帰りたい帰りたいと思いながら、のたれ死にした奴だって大勢いる。畳の上で、しかも自分の家で死ぬなんて、それだけで往生だ。病院になんかやるこたあないぞ』 それで心残りはないかと聞いたら、また怒鳴られた。 『あるに決まんてるだろ!』と言った後、泣き出したので、それで思わず、 『末のことはまかせろ』と言ってしまったんだ。で、現在に至るというわけさ」 「……ここを継ぐ前の仕事って何だったんですか?」 「ああ、役人だよ。道路や橋を作ってた。まるで落語だね」 「その、お父さんは?」 「一昨年死んだ。『おまえが一人前になるまで死ねるか』とよく言ってたから、ようやく一人前と認めてくれたのかな」 店主は、俺とハルヒに、タバコはいいかな?と承諾をとって、大きなマッチ箱を取り出してマッチをすり、火をタバコの先に持っていった。細い煙があがって、その先を見るような目で、店主は続きを話してくれた。 「今、私が座ってる机の引き出しには、不動産業とはあまり関係のない、父親の資料が入っていてね。世界中の家の写真なんだ。どうやって集めたんだろうと思うね。父親は、私が子供の頃から、ずっとこの椅子に座っていて、どこかに出掛けた覚えなんかほとんどなかったから」 店主は引き出しを開け、古いアルバムのようなものの中から一冊を抜いて、机の上で広げた。 「これは中国の山西省にある窰洞(ヤオトン)という住居。山西省や河南省あたりを黄土高原というのだけれど、『黄土高原は風がつくった大地である』という言葉があるくらいでね。ゴビ砂漠から風が運んできた黄色い砂塵でできた堆積層は、深いところで200メートルもある。土壌は均質かつ多孔質、雨の振らない地域だから数万年の年月で乾燥し切ってる。この土はとてもやわらかく掘りやすい、それに掘っても崩れにくい。中庭にあたる正方形を掘り下げて、そうしてできた土の壁に、今度は横に穴をあけて部屋をつくる。鋤一本と根気さえあれば、誰だって家がつくれる。材料はどこからも持って来なくていい、みんな自分の足の下にあるからね。こうしたところで、自分の住むところをつくるのに、「建てる」のでなく「掘る」人たちが暮らしている。住居ばかりか、工場も、学校も、ホテルも、役所も、延安大学の学生寮も、みんなそう。調査された中で一番古い窰洞(ヤオトン)は唐の詩人杜甫の生家で、1200年ほど前のものが残っているそうだよ」 「これは熱帯アフリカのバオバブの木。大きな木は幹の直径が10m近くにもなる。材質が非常に柔らかいので、これも彫り抜いて窰洞(ヤオトン)のように「引き算の建築」ができる。生きている木につくった大きな穴の家で暮らしている人たちも大勢いる」 「こっちは、乾期と雨期の間で河の水位が何mもある東南アジアの水の民の家。ノアの箱船は洪水から逃れるためにつくられたけれど、この人たちは最初から定期的に襲ってくる洪水を前提に暮らしている。この丸木小屋みたいなのは全部これも丸太でできたイカダの上に組み立てられている。ほら、どの家にも周りに20mぐらいの高い4本の柱が立っているだろ。この柱は、水に浮かんだ時にイカダ住宅を綱でつなぐおくためのものなんだ。ひとたび洪水になれば、村全体が、家や商店、集会所、そして犬小屋までも、自動的に浮かび上がる。彼等は土の上とほとんど同じ暮らしを、今度は水の上で続ける。20mの柱はね、これがないとイカダ住宅がどこかに流れて行ってしまうからだけど、ただつなぎ止めるためなら1本の柱でよさそうなものじゃないか。4本あるのは、家の向きを変えないためなんだよ。つまり四隅とも柱につないでないと、家の向きが変わってテレビの写りが悪くなる」 「テレビ?」 「ほら、屋根の上にアンテナがある。洪水を非常時と考えるとテレビなんて、と思うかもしれないが、洪水が日常の人たちには大切な問題だ」 「電気はどうしてるんですか?」 「普段は電線で供給されているところも増えたみたいだけれど、ガソリン・エンジンがついた発電機も持っている」 店主の話に引き込まれるように聞き入っていると、いつのまにかハルヒが隣に座っていた。 そりゃそうだ。この手の話をハルヒが聞き逃すはずがない。 俺は続いて何が出てくるのだろうと、無意識に腰を浮かせて机越しに見えない引き出しの中を覗こうとしていた。ハルヒがそんな俺の肩をひっつかみ強引に引き戻し、その反動で自分はバネ仕掛けのようにぶんと席から立ち上がった。 「おじさんは、家の写真、集めてないの?」 「うん。集めてるんだけど、捗々(はかばか)しくないな。うちは一人でやってるし、休みもあってないようなものだから、なかなか時間がなくてね。父親も同じ条件だったのに、何だこの量は、っていつも不思議に思うんだよ」 「それはね、協力者がいたからよ!」 ああ、断言したよ、こいつ。 「キョン、あんた、話が見えてないでしょ? おじさんはすぐにピンと来たみたいだけど」 「あ、ああ。どういうことだ、ハルヒ?」 「写真の隅っこをよく見なさい。どれにも小さくイニシャルみたいなものが入ってるでしょ?」 「ん?あ、ああ。これか。だがこれだけだと何とも言えんぞ」 「言えるのよ。さっきから何枚、写真を見せてもらったの?最初の窰洞(ヤオトン)とこっちとこっちの写真。撮影された場所はもちろん、時期も、撮った人も違うと見ていいでしょうね。筆跡から言ってもそう。なのに、どの写真にも同じイニシャルが入っている。そして、この不動産屋さんの屋号。これは名字からでしょ?」 「ああ、そうだよ。なるほど、まいったな」 「写真のイニシャルと屋号も合う。つまり、いろんな人が、おじさんのお父さんのために撮った写真なのよ、ここにある奴は全部!」 「なるほどな。探すべきものは、余所じゃなくて、ここにあったのか」 「青い鳥って奴よ、おじさん!」 おいおい、おまえが言うのか、そのセリフ。俺は二度とは言わんけどな。 「父のアドレス帳と年賀状の束は捨てずに取ってあるから、まずそのあたりからだね」 「お父さんのネットワークが解き明かされると、きっとすごいことになるわ」 「ああ、私が全然知らなかった父が、きっといるんだろう」 いつのまにか意気投合しちまって、二人で盛り上がる店主とハルヒ。気を利かせて横を向いててやる。 「青い鳥か。……そうか、君はもう見付けたんだな」 「ええ、そうよ」 見なくても、誇らしく胸を張っているハルヒの姿が見える。 「それから、あたしからおじさんに一つ提案があるわ」 何故だろう、嫌な予感がする。 「店番は、あたしたちに任させて、どんどん不思議探検に行っちゃいなさい!」 おい、ハルヒ、おまえな! ……いま、あたし《たち》と言わなかったか? 「難しい契約なんかは資格もいるだろうしできないけど、電話番ぐらいにはなるわ。いつお客さんが来るのかわからないのがネックなんだし、店番を活用したら,細切れ時間だって有効活用できるでしょ? まあ、話は、何日かあたしたちにやらせてみて、おじさんが『これならいける』と思ってからに当然なるけど」 おいおい、話をどんどん進めるな。 「わかってないあんたのために、この計画のすばらしいメリットを特別に説明してあげるわ。あたしたちの場合、軍資金は少しでも多いに越したことはないし、それにこうしていれば優良物件を見逃す事もないし、物件の選び方探し方のノウハウも身に付くってものよ」 とここまで言って、早や家庭教師と変身したハルヒは、例の100ワットの笑顔を2割増しに輝かした。 「というわけでキョン、あんたへの家庭教師も《ここ》でやっちゃうからね」 「おいおい。それってバイトの掛け持ちというか、職務専念義務とかに反するんじゃないのか?」 「あんたの家庭教師はボランティアなんだし、あたしにとっては好きな本でも読んでるのと変わらないわよ。あんたが問題解くのに考えている間、どうせあたしは時間が空くんだから、これこそ効率的な時間の使い方よ! という具合に3者が3者とも得する計画なんだけど、おじさん、どうかしら?」 なんか話の途中から聞いて笑ってましたよね。ほとんど爆笑に近いくらいに。 「あー、愉快だよ。痛快だ。こんなにむちゃくちゃで強引で、しかも筋も通っていれば利もあるなんてね。……見習い期間は月〜金の5日間、その間はバイト代なし。本採用なら次の週から早速お願いする、ということでどうだろう。時間とバイト代は委細相談の上ということで」 「かまわないわ!」 ともあれ、これもまた明日のためのその一、ということだろうか。 うちの親への説得も、まだ残ってるんだぞ、ハルヒ。 「わかってるわよ。それも今夜やっちゃいましょう!」 やれやれ。多分、一番の難関なんだぞ。 「わかってるわよ。でも,進まないと明日はないわ。キョン、あたしに付いて来なさい!!」 ハルキョン家を探す その1 ハルキョン家を探す その2 →ハルキョン家を探す その3 ハルキョン家を探す その4 ハルキョン家を探す その5
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/127.html
var KeyName = 袁滂 編集 袁滂は、後漢後期の人物。霊帝期に司徒となる。その後免じられるが、また執金吾となり、車騎将軍張温の副として北宮伯玉、辺章、韓遂らを討った。 情報 袁滂 姓氏 袁 諱 滂 字 公喜 本貫地 陳国 官歴 光禄勲 司徒 免 執金吾 評 純素寡欲、終に人の短を言わず。(後漢書董卓伝注袁宏漢紀) 事跡 純素寡欲(純朴で欲少ない)で、ついに人の短所を言わなかった、権寵の盛んな時期に当たって、同異(賛否)によって禍いに到った者もいたが、袁滂は一人朝廷において中立を維持し、故に権力闘争の愛憎が及ばなかったという。 年表 所属項目(タグ) 人物 後漢 人物 後漢末 出身 陳国 官歴 諸公 官歴 諸卿 関連項目・人物 「袁滂」をタグに含むページは1つもありません。 編集 -
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/71.html
編集 太守または郡守は、地方の職官。郡の政事全般を司る地方の長官で、現代日本の都道府県知事に相当する。 漢代では、行政のみならず、訴訟、軍事、県令・県長らの監察をも統括する地方政治の最高官であり、郡将とも称された。 しかし、後漢以降の州刺史の権限増大と、後漢末・三国時代の地方軍の常駐、それを率いる都督諸州軍事の台頭によって州単位の統治が強化され、郡及び太守の地位は低下した。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏郡丞 辺郡長史 属官諸郡都尉 諸県 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 郡守は秦官。漢もこれを継ぐ。 景帝中二年、更名して太守と為す。 位 各郡一人、秩二千石。 職掌 (前漢) その郡の治を掌る。 (後漢) 民を治め、賢を進め、功を勸め、訟を決し、姦を検めることを掌る。 常に春を以て主る所の県を行き、民に農桑を勸め,乏絶を振救する。 属吏 郡丞 一人、秩六百石。 辺郡長史 辺境の郡に各一人、秩六百石。 兵馬を掌る。 属官 諸郡都尉 (前漢) 一人、秩比二千石。 守(太守)を佐し武職・甲卒を典ず。 郡尉は秦官。漢もこれを継ぐ。 景帝中二年、名を更めて都尉とする。 都尉丞 秩六百石。 諸県 県令 一万戸以上の大県に一人、秩千石、または六百石。 後漢には秩千石。 その県を治すを掌る。 県長 小県に一人、秩五百石、四百石、または三百石。 後漢には秩四百石または三百石。 その県を治すを掌る。 所属項目(タグ) 二千石 太守 方任 職官 郡 郡守 関連項目・人物 太守 詳説 編集 -
https://w.atwiki.jp/sangokushi-taisen/pages/653.html
武将名 皇甫嵩 官職 武官 兵種 槍兵 コスト 2 能力 武力7 知力7 征圧力1 特技 勇猛 魅力 漢鳴 将器 攻城術 計略 漢鳴の大号令 【漢鳴】漢の味方の武力が上がる漢鳴3:さらに兵力が回復する 必要士気6 武力+9(漢鳴3) 漢鳴3時兵力+? 効果時間?c自身中心に縦5マス*横8マスの方形 Ver1.1.0A
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/116.html
編集 来豔は、後漢後期の人物。霊帝期に司空へ昇った。蜀漢に仕えた来敏の父。 学を好み士に下り、館を開いて徒衆を養った。少くして顕位を歴した(蜀志来敏伝)。 情報 来豔 姓氏 來 諱 豔 字 季徳(季德) 本貫地 南陽郡新野県 家柄 新野来氏 官歴 太常 司空太常 司空薨 死去 光和元年九月、司空在職で薨ず。 子 来敏 事跡 年表 所属項目(タグ) 人物 後漢 人物 後漢末 出身 南陽郡 出身 新野県 官歴 諸公 官歴 諸卿 新野来氏 関連項目・人物 「来豔」をタグに含むページは1つもありません。 編集 -
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/233.html
編集 陳遵は、後漢後期の人物。霊帝の頃の琅邪国相。趙昱を郡吏に召したが応じられなかった。 情報 陳遵 姓氏 陳 名 遵 官歴 琅邪国相 事跡 年表 所属項目(タグ) 人物 後漢 人物 後漢末 官歴 守相 関連項目・人物 「陳遵」をタグに含むページは1つもありません。 編集 -